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牛谷 義秀 院長の独自取材記事

クリニックうしたに

(宮崎市/南宮崎駅)

最終更新日:2023/09/14

牛谷義秀院長 クリニックうしたに main

南宮崎駅より南西へ徒歩約15分。バス停からもほど近い「クリニックうしたに」を開業した牛谷義秀院長は住み慣れた地域で最期まで診るという信念のもと、ひたむきに地域医療を充実させるために取り組んできた。垣根を超えて多職種と連携を密に取り、率先して医療・介護を結びつけてきたのは、ひとえに患者の生活を支えたいという強い思いに他ならない。「患者さんの暮らしを守りたいのです」そう語る牛谷院長の言葉の端々から、地域患者への熱い想いがひしひしと伝わってきた。地域医療を多方面から推進してきたことで、在宅医療が根づいてきているように感じるという牛谷院長。牛谷院長が懸命にまいた種は芽吹き、大きく花が開こうとしているのだろう。そんな牛谷院長に、地域医療における取り組みや地域患者への想いなど、さまざまな話を聞いた。

(取材日2023年7月12日)

住み慣れた地域で最期まで安心して暮らせる医療の提供

医師をめざしたきっかけを教えてください。

牛谷義秀院長 クリニックうしたに1

私の地元は田舎で、当時病院にも行けない人が多くいらっしゃいました。困っている人たちを見るにつけ、そんな人を支えたいと思ったことが医師を志したきっかけです。大学で学んでいた際も、高齢者と向き合う診療をしたいと思っていましたから、スキルとして持ち得るものはすべて身につけようという気概を持ち、がむしゃらに学んでいましたね。さまざまな手術にも入りましたし、内視鏡からペインクリニック(痛みの治療を専門的に行う診療分野)、放射線の治療、プライマリケア(普段から何でも診て相談に乗る身近な医師による総合的な医療)と、地域医療における総合診療的な役割を担えるよう、関連する領域の勉強に励みました。博士号も取得し、宮崎に帰ってきました。外科の専門性を磨いたのも、患者さんに改善が見込めるものを目に見える形で提供したかったからです。当時母校の外科医局は人気で仲間が大勢いましたので、切磋琢磨してやってましたね。

在宅医療の分野の研鑽を積んでこられたと伺いました。

はい。東京にいた頃、まだ在宅医療という言葉がない時代から往診をしていました。当時、宮崎では在宅医療に対応しているクリニックはあまりなかったので、地域の皆さんに喜んでいただけるのではないかと思いましたし、この地域で推進していく意義は大きいと感じていました。つまり、患者さんが困らないような地域づくりをしていきたかったんですね。特に高齢者医療に関わることは重要だと考えていました。在宅医療に向かう方は必ずいらっしゃいますから、ターミナルケアにも力を入れましたね。当時まだペインクリニック自体珍しい時代でしたが、東京にいた頃は硬膜外カテーテルを用いた先進的な治療を積極的に行っていました。そこで会得した技術を宮崎に持ち帰って、トータルケアができるよう診療に落とし込みました。

開業を考えられたのはどういうことからですか?

牛谷義秀院長 クリニックうしたに2

東京で在宅医療の研鑽を積み、宮崎に帰ってきましたが、この地域には人のつてもなければ、地の利もありませんでした。ただ、宮崎に帰ってきてから、この地域で活躍されているさまざまな職種の方たちと集まる機会があって、その方たちが開業を応援してくださったことが大きかったですね。また、宮崎でも在宅医療を一生懸命やっていきたいという気持ちが強かったので、現在の宮崎大学医学部にあたる宮崎医科大学の第二外科に入って技術を磨きました。同じ医局の中で消化器、肝胆膵、肺、心臓を専門とする分野がありましたので、そこで、それらの患者さんの大事な部分を治療するための技術を身につけたかったんですね。また専門の先生に適切につなげられるように幅広く知識をつけたいという思いもありました。地域に根差して、地域の皆さんが困らないよう支援するために、という想いで当時は突き進んでいましたね。

病気の治療だけでなく、患者が抱える背景も支える

大学在籍時から、地域医療への強い想いを持っていらっしゃったのが伝わってきます。

牛谷義秀院長 クリニックうしたに3

大学ではがんなどの手術を実施した患者さんが術後内科に戻され、それ以降、外科の医師は終末期に移行しても関われないことに疑問がありました。一度関わった方には、ずっと関係を築いていきたいという想いがあるんですね。医療は治療するということですが、生活の場を支える、という視点も大事だと考えます。生活がままならない状態で地域に戻っても患者さんは困ってしまいますよね。医療と介護が手を取り合って、そういった方たちを支えることが重要だと私は思います。加えて、患者さん自身の背景も見ますし、ご家族の患者さんへの関わり方からも、医師としてどう支えるかが見えてきます。患者さんから電話がかかってきたら、その方の顔から病歴から全部分かるのが大事ですし、それがかかりつけ医だと思うのです。

在宅医療を推進していくために、具体的にどのような取り組みをされていますか?

「医療なくして福祉・介護なく、福祉・介護なくして医療なし」を私自身のポリシーとしています。それを実践するために、例えば宮崎市内の医師、看護師、薬剤師、ケアマネジャーなど多彩な職種が参加しているネットワークをつくり、そこでは代表世話人を務めています。また、行政と連携して、患者さん自身がどこまで治療を受けたいかをあらかじめ意思表示できるよう、宮崎市版エンディングノート作成にも関わりました。当院だけではなくて、宮崎市全体で患者さんを支えようと取り組んできました。当院の取り組みとしては、副院長である妻も医師として勤務しており、女性になら相談できるという患者さんにも寄り添った医療の提供に努めています。

患者さんは、どのような方が多いでしょうか?

牛谷義秀院長 クリニックうしたに4

幅広い層の患者さんが来院されますが、年齢層は中高齢者が多いですね。学校医をしていることもあり、学生さんたちもよく来られます。主訴は整形外科疾患、痛みの相談、在宅医療に結びつく患者さんが多いですね。大腸や胃の専門的な検査体制を整えているので、消化器にまつわるお悩みを持った患者さんも来られます。また、健診で要検査となった方や定期的な検査をご希望の方にも対応していますので、その方たちも来られますね。当院はCTを備えていますが、CTを持っていることは一つの強みだと思っています。CT検査によって、大病が見つかったケースも多々あります。早期発見早期治療につなげるためにも、これからもCTを積極的に活用していきたいですね。

医療と介護の継ぎ目をなくし、支援の手を広げる

診療する上で心がけていることは?

牛谷義秀院長 クリニックうしたに5

患者さんとお話をする際には、吐露された内容を丁寧に確認しながら診療していきます。こちらの言いっ放しや聞きっ放しが多いと、患者さんが伝えたいことと、こちらが受け止めたことにすれ違いが起こってしまうんですね。傾聴とは簡単に言いますが、患者さんがどういったことを伝えたいのかをよく聞くということが大事だと思います。当院は地域の健康ステーションのような役割も担っていますから、何でも相談に乗りますし、最期まで尊厳ある暮らしを送れるよう支援していきます。当院は地域の皆さまに支えられていますから、恩返ししたいという想いで診療しています。

院長自身が健康のために実践していることは?

ドライブが好きなので、そういったことをしながらリフレッシュするようにしていますね。あとは散歩もよくします。最近は忙しくてできていませんが、私自身もともと体を動かすことが大好きなので、以前よく職員を連れてバドミントンをしていました。野球も好きですね。小さい頃からやっていたわけではないんですが、大学生の頃から始めて、この地域でもチームに所属して試合に出ていました。今はもっぱら野球観戦ですが、それも良い気分転換になっています。

今後の展望と読者にメッセージをお願いします。

牛谷義秀院長 クリニックうしたに6

医療・介護・福祉領域の先進的な取り組みを行ってきましたので、この基盤の上に、さらに今地域が困っている在宅医療がもっと率先してできるようになっていけたらと思っています。そして然るべき時が来たら、その基盤を後人につなぎたいですね。在宅医療と介護をつなぐ役割をしっかりと果たし、介護との継ぎ目の空間がない医療を展開しつつ、尊厳のある暮らしを守っていきたいです。まだ教わりたいこともたくさんありますので、診療科を越えて、今後も在宅医療に取り組んでいきたいと考えています。間口を広く、幅広く対応していますので、何でも気軽に相談してください。自分自身も年を取りましたが、同時に関わった患者さんも年を取られていきます。その方たちが困られた時は、いつでも頼っていただきたいですね。

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