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平松 義文 院長の独自取材記事

如来山内科・外科クリニック

(東海市/新日鉄前駅)

最終更新日:2021/10/12

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック main

誰にでも平等に訪れる「死」。最期まで人としての尊厳を守る医療を提供したい。そうした理念のもと在宅医療に力を注いでいるのが、2014年東海市に開院した「医療法人嚶鳴会 如来山内科・外科クリニック」だ。医師歴40年という平松義文院長は、「死なせ上手」な医師になるのが理想という、少々型破りながらも情熱と人情味にあふれたベテラン医師。外来診療にも力を入れ、どこの診療科を受診すればよいかわからないという患者の気持ちに寄り添う総合診療も提供している。今回は、揺るぎない信念に支えられた医師人生と独自の死生観について語ってもらった。

(取材日2018年1月25日)

人としての尊厳を守る「死なせ上手」な在宅医療の提供

医師をめざしたきっかけを教えていただけますか?

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック1

私は農家の息子として東海市に生まれ、親に勉強を強いられることもなく、宿題はほったらかしにして遊んでばかりいる子どもでした(笑)。初めて医師という職業を意識したのは、伊勢湾台風が東海地方を襲った1959年のことです。負傷者や溺死者が多数出て、当時小学生だった私もむしろの下に横たえられた亡きがらをいくつも目にしました。そんな大変な折、ボランティアで救助活動にあたっていた私の父とおじが「あの先生方が診療所を開いてくれているから、すごく助かっているみたいだよ」と話しているのを聞いたんです。この惨状の中でも他人を救おうと必死な人がいることを知り、子ども心にも「お医者さんとは、すごいなあ」と感心したのを覚えています。

院長には理想とする医療のかたちがあるそうですね。

病気の多くは、医師が治すのではなく患者さん自身の治す力によって治癒します。医療関係者が最後まで諦めずに全力を尽くすのは当然のことですが、治癒力が尽きている患者さんの体にまで、あれこれ手を加える医療には疑問を感じています。患者さんの人としての尊厳を大切にする、そんな在宅医療を提供するのが私のめざすところです。これまでにも、たくさんの末期がん患者さんを診てきましたが、病院ではなく「家で最期を迎えたい」と切実に願う方は少なくありません。もちろん、在宅による緩和ケアは簡単ではないでしょう。患者さん本人が自分の病気と予後をきちんと理解し、家族や医療機関の支援体制を整えなければなりません。それらを克服し、できるだけ苦しみを緩和して親しい人とゆったり過ごしてもらう「死なせ上手」な医師になるのが私の理想です。

これからの時代により求められる考えだと思います。そのお考えになったのはなぜですか?

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック2

大学病院で消化器外科を専門に診ていた頃、大腸がんが肝転移した男性患者さんを担当したのがきっかけです。6回にわたる手術をすべて執刀しましたが、その後もがんが再発。7回目の手術について相談していた時「平松先生には10年も生きさせてもらったから手術はもう受けない。その代わり、死亡診断書を先生の名前で書いてほしい」と死を覚悟した言葉を口にされたんです。とはいえ放っておけば体は弱り、通院も難しくなります。ですから、看護師、薬剤師、管理栄養士から人員を募ってチームをつくり、「往診のボランティア」というかたちで在宅による緩和ケアを行いました。結局、その方は自宅で亡くなられました。長い付き合いでしたからね。四十九日を過ぎた頃に患者さんの奥さんを訪ねてみたんです。思ったよりもお元気そうでしたね。そして、亡くなられた日の最期の姿を語ってくださったんです。

思い出深いわが家で、家族に囲まれて迎える幸福な最期

どのような最期だったのですか?

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック3

亡くなられた日はご家族や親戚が一堂に会し、患者さんのベッドの周りで賑やかに会食をされたそうです。ご本人も「今まで世話になった。残された家族を頼む」と言葉を残されました。会食後は2人の息子さんに風呂に入れてもらい、お気に入りの大島紬をまとって正装した状態で床に就かれたそうです。すべて患者さんご自身の意思で選ばれたことです。この話を聞いて、私は「こんな死に方があるのか」と度肝を抜かれました。というのも、大学病院では、「いかに上手にがんを切るか」が目標であって、治療を諦めるのは「医療の負け」を認めることになると考えていたからです。この症例では、たしかに医療は負けました。しかし、親しい人と過ごす穏やかな時間は確実に守られました。何十年とたった現在も、この「死に様」が私の提供したい医療の目標となっています。

開院までには幅広く経験を積まれたそうですね。

大学病院を退職して個人の医院やへき地の診療所に勤務し、理想とする在宅医療や「死に方」を追求し続けました。和歌山県にある町立七川診療所には8年勤めました。午前中は外来、午後からは町民宅への往診で、予定往診は看護師さんと、夜間緊急往診は妻と2人で行うといった毎日でしたね。しかし理想と現実のギャップを感じ、故郷に戻って南医療生協・星崎診療所に勤務することにしました。南医療生協診療所は伊勢湾台風がきっかけで設立された診療所です。「お医者さんとは、すごいな」と感動した初心を取り戻したかったのかもしれません。その一方で、「理想を実現するには開院するしかない」とも思い始めていました。それで在宅医療に力を入れている市町村の実態を研究したり、遠くは北海道のへき地へ赴いたりして経験を積み、生まれ育ったこの地で開院に至りました。

在宅医療のニーズは高まっています。

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック4

先日は、難病を患った30代の男性患者さんを担当しました。市立病院に入院中は治療を拒否され、病院食ではなくお母さまの手料理を召し上がっていたそうです。病院側も大変だったでしょう。実際お会いしたところ「死ぬ覚悟はできている」と言われたので、私も「負ける医療」になる覚悟を決め、できるだけ痛みを和らげる在宅医療へと切り替えました。自宅へ戻られて息を引き取られるまでの数日間、お母さまに何度もお礼を述べられたそうですよ。「先生に会えて良かった」という私への言葉が忘れられません。在宅医療は医師にとっても楽な仕事ではありませんが、「先生が来てくれるだけで元気になる」なんて言われると、うれしくてつい頑張ってしまいますね。

地域に貢献できる医療と介護の拠点をめざす

外来診療にも注力されています。

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック5

診療科目の垣根を越えて、いつでも診る、なんでも診るのが当院のモットーです。正直な話、医師としての目を衰えさせたくないという思いもあります。幸い、大学病院では救急外来や緊急手術の指導担当を務めていましたし、へき地の診療所では患者さんのありとあらゆる訴えに耳を傾けてきました。こうした経験が疾患を総合的に診る強みになっています。風邪や腹痛、ケガをはじめ、首、肩、腰の痛みといった整形外科の症状、水虫やじんましんなどの皮膚科の症状のほか、たまにメンタル面のご相談にも応じていますよ。どこの診療科を受診すればよいかわからずお越しになる方は、意外と多いものです。必要に応じて専門の医療機関をご紹介していますのでご安心ください。

現在の取り組みを教えてください。

社会貢献の一環として、クリニックのスタッフや地域のお子さんを預かる保育園を開園する予定です。保育園では、英会話やプログラミングといった英才教育に加え、保護者の同意を得て、子どもたちを往診や老人施設へ連れていき、高齢者や病気の方に会わせてあげたいと思っています。生まれるのも死ぬのも病院という現代は、大人でも死生観を養いにくいですからね。また、在宅医療においては、病気を治すことに重きを置く病院の姿勢と、患者さんの生活スタイルを尊重した診断や処置を行う診療所との間に意識のギャップがあります。こうしたギャップを埋めるべく、各地で講演会も行っています。

最後に地域の方や患者さんへのメッセージをお願いします。

平松義文院長 如来山内科・外科クリニック6

日本人に欠けているのは、死に様に関する哲学だと思います。逆を言えば「どう生きるか」ということにもつながります。医師任せではなく、患者さん自身がもっと自分の人生の着地点について能動的になるべきです。当院では月に一度「如来山よもやま噺の会」と題し、そうした着地点を考えるヒントとなるような定例会を開いていますので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。ちなみにクリニック名の「如来山」は東海市出身の儒学者、細井平洲の雅号で、彼が勉強の合間に立ち寄ったとされる小高い丘の名前です。そして、法人名の「嚶鳴会」は平洲が開いた私塾から頂戴しています。このクリニックが平洲のように地域の皆さまに親しまれることを願いつつ、医療・介護の拠点にしていきたいと思っています。

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