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炭田 知宜 院長の独自取材記事

炭田内科胃腸科病院

(広島市西区/横川駅)

最終更新日:2021/10/12

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院 main

JR可部線・山陽本線の横川駅北口から国道261号・183号を歩いて10分。三篠町交差点近くで70年以上、診療を続けているのが「炭田内科胃腸科病院」だ。2020年から院長を務める炭田知宜先生は、同院の3代目院長。生涯現役を貫く医師であり、先代院長でもある父の影響を受けて、医師という仕事を志したという。初代院長から3代続いて消化器内科を専門に、一般内科まで幅広く診療。入院設備も整える地域住民にとって頼れる存在となっている。在宅医療が難しい家庭の患者を入院で受け入れる一方、現状に問題点を見出し、その解決を図るためにも病診連携・地域連携などさまざまな課題に取り組む炭田院長に話を聞いた。

(取材日2020年12月26日)

在宅医療が難しい状況の患者を受け入れる入院設備

診療科目を教えてください。

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院1

内科一般、消化器内科、呼吸器内科です。当院の医師は父と私の2人で、2人とも消化器内科が専門なのですが、父は膵臓と胆のう、私は胃や大腸など消化管を専門に扱ってきました。バリウム検査、エックス線検査、CT検査、エコー検査に加え、胃や大腸の内視鏡検査、軽微な内視鏡手術も院内で行うことができます。また、地域の一次診療医療機関として内科一般も診察していますので、風邪や発熱、高血圧・高脂血症・糖尿病や肺炎の予後など慢性疾患の管理も併せて行っています。30床の入院設備がありますので、疾患や治療の状況に応じて使用する場合もあります。

患者さんはどのような方が多いのでしょうか。

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院2

年齢層としてはやはり高齢の方、60代前後から70代以上が多いですね。祖父の代から通ってくださっている最高齢の患者さんは99歳です。私の患者さんは比較的若い方が多く、以前勤めていた広島記念病院時代からの患者さんもおみえになります。入院設備がありますので、近隣のクリニックからの紹介で来院される方もいらっしゃいます。医療の合理化や新型コロナウイルス感染症の予防対策などのため、昨今は高齢者の在宅医療が勧められがちですが、患者さんのお世話が難しい状況のご家庭も少なくありません。独居の方や、お世話を期待されるご親族がフルタイムで働いているご家庭もありますので、そういう環境の患者さんを入院で管理させていただくこともあります。

中高年以上の患者さんでは、がんを心配される方も多いのではないですか?

悪性腫瘍の発見は消化器内科医師の重要な仕事の1つですから、当院では内視鏡検査とCTを中心に消化器がんの検査を行っています。実際、早めに検査を行うと、極めて初期の段階でがんが見つかることも多いものなんです。初期の胃がんや大腸がんなら内視鏡手術で治療できるケースもありますから、体に少しでも異常を感じられたら早めにご相談いただきたいですね。当院内で対応できるものは院内で完結させますが、手術や治療の難易度が高いものは、地域の基幹病院に紹介しています。

生死の境をさまよう患者に施した緊急処置

勤務医時代のご経歴を簡単に教えてください。

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院3

地元の広島学院高校から久留米大学医学部に進み、2000年に卒業して、安佐市民病院、広島大学病院、広島記念病院など県内の基幹病院で働いてきました。専門は消化器内科・胃・大腸腫瘍に対する内視鏡診断・治療および胃悪性リンパ腫やがんの基礎研究や技術の研鑽を重ねました。父が院長を務めていた当院に入職したのが2016年、広島記念病院を2018年に退職し、2020年7月に父から院長の仕事を引き継ぎました。父は70代になり、医師としてはまだ現役ですが、今では経営など裏方に回ってくれることが多いです。

開業されたのはお父さまですか?

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院4

開業したのは祖父で、70年以上前になります。今の建物は1986年、私が高校1年生の時に建て替えたもので、ちょっと古くなってきましたね。祖父の前、曾祖父は下駄屋さんでした。曾祖母が「戦争も終わったので、これからは医療が必要になる」と考えて、祖父に対して医師になるよう勧めたのだそうです。それで祖父は医学部に進み、やはり消化器内科を専門にして、地元で開業したといういきさつだったようです。祖父は私が物心ついた頃には引退してゴルフばかりやっていた印象ですが(笑)、一方、父はちょっと違いました。子どもの頃、小豆島に家族旅行に行ったのですが、島に上陸したまさにその瞬間に病院から呼び戻されて、そのまま父だけ帰っていったことがあったんです。父は70歳を越えた今も毎日ほとんど病院にいる、生涯現役を地でいくような人です。幼い頃からそんな父の影響を受けて、私もこの仕事を選んだのかもしれません。

医師の仕事をしていて、忘れられない思い出があれば教えてください。

広島記念病院で働いていた当時のことです。患者さんが急変して呼吸困難に陥ったたため、本来は麻酔科で担当している気管内挿管を、僕ら消化器科のチームで緊急にやらないといけなくなったことがありました。気管内挿管は医師であれば誰でも上手にできる技術じゃなくて、主に集中治療室で行うような処置なんですよ。麻酔科の先生を待っていられる状況ではなく、それでも諦めるわけにはいかないと必死に取り組みました。人工呼吸器管理を自分で行いながら治療を続け、幸いその患者さんは、1ヵ月後に退院していかれました。医師としてこれ以上の喜びはありませんでした。忘れることのできない思い出の1つです。当院に入職してからは、やはり長くかかっている患者さんが亡くなられたときはつらいものです。父の代から何十年も通われている患者さんは、家族のように思って診ていますから。

昔ながらの体制を見直して、入院病棟を継続したい

日頃の診療ではどんなことを心がけていますか。

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院5

診察は父と2人でやっているものの、外来の患者さんが多い日などはとにかく時間が足りなくなります。内視鏡もCTも自分でやっているので、仕事が煩雑なんですね。そんな状況でもほぼ全員の患者さんに、問診も触診もきちんと行ってから検査に進んでいただき、結果まできちんと伝えるように心がけています。それが患者さんにとっての安心感になるからなんです。入院中の患者さんにも、外来が終わってから、自分で診察・説明に行きます。消化器内科は患者さんのおなかを触ることが診断の手がかりになることがあり、検査の多い診療科でもありますが、時間的なやり繰りが難しくても省かないようにしています。

お忙しいと思いますが、お休みの日はどのように過ごされていますか。

炭田知宜院長 炭田内科胃腸科病院6

趣味が多いほうではないので、休みの日でもできるだけ病棟の患者さんの顔を見に行きます。父もそうしてきたのを見て育ったので、研修医時代からの習慣です。それでも、勤務医時代は交代で休みはあったのですが、今は盆や正月は父が休むので、私が病院に通っています。もう少し時間があったら、勉強会や研究会にこまめに参加して、知識や情報のアップデートを進めていきたいところです。学生時代の部活でテニスを始めて、週に1回くらい続けてきたのですが、この1年くらいはなかなか時間が取れなくなりました。病院勤めの頃は子どもも小さかったので家族旅行にも行けましたが、この数年は子どもも受験で忙しくなったので、たまに時間ができると自分だけでふらっとドライブに出かけるくらいです。最近は、高校・大学時代の同級生や病院時代の同期など懐かしい友人と会って、お酒を飲むことができるようになったのがうれしいですね。

今後の展望についてお聞かせください。

当院くらいの規模で、何かあったらすぐに入院できる病院が地域にあると安心だと思うのですが、維持していくのはなかなか大変です。しかし祖父の代から70年も続く病院で、地域の皆さんの健康を守っていく責任がわれわれにはあると思っています。地域医療の一翼として皆さんに頼りにしていただける病院になるよう、これからも同じ志の医師やスタッフに集まってもらい、頑張っていきたいと思っています。長年、たった1人で外来も入院も担ってきた父はすごいなと医師として尊敬しています。しかし、ほかにも今の時代に合わせて変えていかなくてはならない点がたくさんあると思っています。また、地域のクリニックとの連携を強めて、地域医療の質を上げながら、役割を分担していくことも必要ではないかと考えています。いろいろとやらないといけないことはありますが、日々試行錯誤しながら、これからも地域の皆さんのお役に立っていければと思っています。

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