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渡辺 弘 院長の独自取材記事

HALクリニック

(新潟市東区/新潟駅)

最終更新日:2021/10/12

渡辺弘院長 HALクリニック main

新潟市東区に位置する「HALクリニック」。「HAL」とは、「Human Active Life」の略で、同院のシンボルにもなっている「いきいき生きる」の意味だ。2010年に同院を開業した渡辺弘院長は、新潟大学医学部を卒業後、30年以上にわたって心臓血管外科の分野で活躍してきた。「現状に留まることは退化である」の信念を持ち、常に変化と前進を求める渡辺院長のもとには、新潟市内はもちろん、市外からも多くの患者が足を運ぶ。豊富な知識とネットワークを生かし、新潟大学病院や地域の各専門分野の医師と連携を取りながら、日々診療にあたっている。「町中でも、大規模病院で受けられるような診療を提供したい」と話す渡辺院長に、クリニックの特徴や医師として喜びを感じる瞬間などを聞いた。

(取材日2021年5月11日)

「ミニマムな心臓血管外科」をめざして

クリニックの特徴を教えていただけますか。

渡辺弘院長 HALクリニック1

当院は、ミニマムな心臓血管外科をめざしています。一番大切にしていることは、クリニックならではの小回りのきく診療。そのため、院内に設置する医療機器は最小限にし、その分、大学病院や市民病院、他医院との連携を密にしています。大きな病院は、循環器内科、心臓血管内科、放射線科と、診療科それぞれの小さな病院が集まっている集合体であると捉えていますが、そこで研鑽を積んだ各科のエキスパートの先生方が町中で開業をしている。彼らととも協力して治療を行うことで、町中に1つの大きな病院があるような機能を果たすことができます。先に挙げたような科はもちろん、糖尿病内科、整形外科、産婦人科といった先生方とも細かくやりとりをしています。患者さんに対し、大規模病院で行うようなスクリーニングをある程度まで行い、その後紹介先の病院でもスムーズな治療を行うことができる状態にしたいと取り組んでいます。

どういった症状の方が多くいらっしゃるのでしょうか。

多岐にわたりますが、主に心臓、静脈、動脈のそれぞれの病気です。軽い高血圧が心配という方もいらっしゃいますが、胸が苦しい、不整脈で動悸がするといった症状に加え、エコー検査のための来院や、手術後の診療、重症な心臓弁膜症、不整脈の患者さんもいます。多い症状は、息切れがして呼吸が苦しい、というもの。これは実は心臓弁膜症であったり、発作性上室性頻拍が原因で動悸が止まらない、ということもありえます。市内はもちろん、市外からいらっしゃる患者さんも多いですね。基本的にはエックス線検査、心電図検査、エコー検査をその日のうちに行い、診断をします。重篤な症状があればその日中に入院先の紹介をすることもありますし、重い心筋梗塞の症状があればその場で救急車を呼ぶことも。あるいは、ある程度当院で症状に対処し、その後紹介先で精密検査を受けていただき手術に持ち込むなど、常に臨機応変な対応をするようにしています。

診療を行う上で、先生が大切にしていることは何ですか?

渡辺弘院長 HALクリニック2

患者さんの顔をよく見ることです。患者さんの血圧を測る時は、必ず触って行うこともそうですね。これは私が研修医の頃の、教授回診での経験がもとになっています。当時、データを見て「順調です」と教授に伝えるのですが、患者さんの顔を見た教授に「どこが順調なの?」と言われるんです。確かに顔色が悪いなど、目で見て何か不調がありそうな場合、データ上の数値は良くても、その後の回復までが良くなかったりする。それから患者さんの状態は血液検査や画像データの結果だけを見てもわからない、と心に刻みました。まずは表情、歩き方、肌の色つやを見た上で、その状態の後づけとして、データを用いるようにしています。

モットーは「常に変化し、前進すること」

先生はなぜ、医師の道をめざされたのでしょうか?

渡辺弘院長 HALクリニック3

子どもの頃は画家やイラストレーターなど、美術系の道に興味がありました。展覧会で受賞したこともあったんですよ。でも高校生くらいになって、自分の実力がわかってしまった(笑)。ただ、自分の責任で物事を進める仕事に就きたい、という思いもありましたし、おじが医師だったことや、テレビ番組の影響などもあって、そこから医師をめざすことにしたんです。実際に進む科を選ぶとき、当時は内科を選ぶことが多い時代でした。しかし、そのときの内科は診断学がメインで、手術を行うのは外科でした。その頃は私自身も、循環器内科の道を進もうと思っていたんです。

そこから、心臓血管外科を選ばれた理由をお聞かせいただけますか?

転機となったのは、心臓の手術などを学ぶため、大学病院の恩師のもとで1〜2週間ほど研修をしたことでした。朝から晩まで恩師のもとにつくのですが、当時のことなので、心臓の手術は現在のように終わりません。やっと手術が終わりICUに戻ると、途端に心臓の具合が悪くなり心臓マッサージを行う、ということもありました。また、先天性疾患のお子さんの手術が終わり、お母さんがお子さんの様子を見てたいへん喜ばれているなどの光景を目の当たりにして、治療学がメインの外科の道を進むことにしました。いざやってみると肉体的にも精神的にも本当に大変でしたが、そこまでしないと患者さんを助けられない時代でした。先輩方も非常に厳しかったですが、そこには必ず愛がありましたね。

その後アメリカにも留学され、帰国後は新潟大学で講師や准教授も務められていました。

渡辺弘院長 HALクリニック4

はい。私は常に「変化と前進」を求めていて、そこに留まることは後退であると考えています。留学したのはアメリカのワシントン大学だったのですが、当時は画期的な心房細動を治すためのMaze手術が始まったことを受け、1年間勉強しました。その後講師を務めていた時も、ただ教科書を読む授業をするのではなく、教科書から離れ、視点を変えた講義をするように心がけていました。開業したのは私が50代半ばの頃で、周囲からは「遅い」という声もあったんです。確かに遅かったかもしれませんが、それまでの経験から、しっかりとしたネットワークづくりができていて、連携の基盤がありました。院内の造りも、処置室を大きくして機材を最小限にし、治療の内容を充実させることで、自分たちにしかできない診療を実現できるよう努力しました。そのためにはスキル、知識、ネットワークが必要ですが、当院の強みをしっかりと打ち出すことができたと思っています。

医師として最大の喜びは、患者の安心や回復

開業されるにあたり、新潟市東区を選んだことも、ネットワークを意識されてのことだったのでしょうか。

渡辺弘院長 HALクリニック5

心臓血管外科医としてクリニックを開業する場合は、循環器内科など、他の科がある土地でなければできないと思ったからです。遠く離れた場所だと、他の科との連携が取りづらく、充実した診療の提供をすることが困難になると考えました。その代わり、開業当初は認知度も低く、心臓血管外科というあまりなじみのない科なので、患者さんが少ない時期が続きました。それならばと、患者さん向けの「いきいき健康講座」を始めて、すでに10年以上続けています。最初は2、3人の受講でしたし、正直今も準備などが大変なのですが(笑)、開催することによって患者さんが何かを感じることができれば、と思っています。

ところで、先生はどのように息抜きされているのでしょうか。

時計と万年筆が趣味なんです。高級な時計などではなく、古い時計が好きなんですよ。100年前の懐中時計を入手して、リペアしたりするんです。万年筆もそうですね。もう使えないと思われていたものを修復すると、また100年くらい使えたりするんです。直せば、まだまだ生きていけます。その世界でも修理の面などで、他者とのコミュニケーションが大切になってきます。趣味の面でも、ネットワークづくりを楽しんでいますよ。

最後に、先生が「医師になって良かった」と感じる瞬間を教えていただけますか?

渡辺弘院長 HALクリニック6

患者さんが、「具合が良くなった」と言うときです。「これまで原因がわからなかったけど、先生のおかげで狭心症とわかった」とか、「痛みの原因がわかって、これは病気だから治療できると言われて、気が楽になりました」などと言ってもらえたことがあり、とてもうれしく思います。原因がわからないまま具合が悪く、いざ診察をしてみると重症だった、ということは多々あります。しかし当院で適切な診断と治療を行い、場合によっては他の病院と密に連携しながら手術をして、回復に向かっていく患者さんを見ると「本当に良かったな」といつも思います。

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