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杉田 礼典 院長の独自取材記事

杉田クリニック

(横浜市神奈川区/子安駅)

最終更新日:2023/03/13

杉田礼典院長 杉田クリニック main

“医師とは単なる職業の一つであり、生業に過ぎない。患者が患者としてそこにいるように、医師も医師としてただそこにいるだけだ”。「杉田クリニック」院長の杉田礼典(あやのり)先生は、「だってそうでしょう」と言葉をつなぐ。「私が生業として選んだのが、たまたま医師だっただけ。先生と呼んでくださるからって、勘違いしてはいけないと思うんです。役割を全うしようとする他の職業の人と同じように、医師も『患者さんの社会生活を支える』という役割に徹するべきでしょう」と語る杉田院長。通院する子どもたちの中から「医師になりたい」といって夢をかなえる子どもが出てきたら、それが自分にとって最大の、そしてプライスレスな診療報酬だと話す。その人間味あふれる人柄と哲学に迫った。

(取材日2019年12月10日)

「一座建立」。医師と患者は互いに思いあう対等な関係

開業の際、診療スタンスを言葉にすべく考え抜かれたと伺いました。

杉田礼典院長 杉田クリニック1

医師になり、勤務医を経て開業を決めたとき、かなり時間をかけて考えました。それが、「病める人がいて、これを何とか治せないかと憂う人がいる。これが医療の原点なのではないか」という一文です。白衣を着て患者さんと向き合うと、ただそれだけで「先生」と呼んでもらえるのが医師という仕事です。しかし、医師というのは単なる肩書きで、それは私の生業に過ぎません。先生と呼ばれるからといって、医師が偉いわけではないのです。診療室に入った人が「患者さん」という立場を担っているように、私もただそこで医師という役割を果たしているに過ぎない。そこには、病める人と、病める人を治したいと憂う人がいるだけです。そういう思いを、この一文に込めました。

先生の診療室では、医師と患者が対等なのですね。

そのとおりです。患者さんの人生を考えたとき、主役はもちろん患者さん自身です。すると、私はその舞台を支える黒子ということになるでしょう。必要なときだけ、目立たないように登場して主役を元気にするという役割をこなし、主役にまた輝いてもらう。茶道や能楽にある「一座建立(いちざこんりゅう)」という考え方に近いと思います。主客の別なく、互いに相手のために心を尽くし、尊重し合うということですね。常に「しょせんは医師じゃないか」という気持ちでいるからこそ、こちらから言うべきことは言うし、患者さんも言いたいことを言う、そういう関係が築けているのかもしれません。生活習慣病の治療などでは、生活の改善を時に厳しく指導することもありますよ。薬だけもらえればいいという患者さんには面倒な医師だと思われるかもしれませんが、それは仕方がないですね。いつか、私の考え方を理解してくださる日が来ると良いなと思います。

技術や強み、専門性などを打ち出そうとは思われないのですか。

杉田礼典院長 杉田クリニック2

内科および外科・形成外科領域において、一般的な病気やケガから専門的な医療を必要とする症例まで幅広く対応しています。しかし、それ以上のことは、患者さんが本当に必要としている情報なのでしょうか。患者さんは、医師が標榜している診療科について高い専門性を持っているのは当然のこととして、もっと人間性であるとか、親切かどうかとか、そういうところで医師の良しあしを判断しているのではないかと思うんです。患者さんが私たちに求めているのは、医療よりももっと本質的なことかもしれないということです。

存在するだけで、すべての人は尊重されるべき

先生の診療スタンスの原点はどこにあるのでしょう。

杉田礼典院長 杉田クリニック3

徳島県で過ごした子ども時代、膝に大ケガを負って整形外科にかかったことがありました。その先生は近所で評判で、たくさんの患者が受診の順番待ちをしていました。先生は、そうして待っている一人ひとりを、分け隔てなく丁寧に診ていくんですよ。子ども心に、医師はこうでなきゃいけないと思いました。そして、自分も医師になりたいと思ったんです。おそらく、あれが私の原点なのでしょう。余談ですが、医師になると決めたものの、私は完全に文系の子どもでした。医師になるには医学部に行かなければならず、医学部には理数系の知識が必要だと知った時は愕然としましたね(笑)。転機は微分積分で、「限りなくゼロに近い」という表現に出合ったときです。なんて詩的な表現なんだと、グッときて。そこから一気に数学が好きになりました。人の能力って、どこに隠れているか、いつ表に出てくるか、わからないものですよね。

それは、人を育てる上でも大切な考え方ですね。

いつも思うんですよ。勉強もスポーツも得意じゃなくて、親から見ると歯がゆいような子にも、必ずその子にしかない力があるはずなんだって。ただ、その時点では表に出ていないだけなんです。急に目覚めるかもしれないし、もしかしたらそのまま大人になっていくかもしれないけれど、どちらでもいいじゃないですか。すべての人は限りない力を秘めている。その事実だけで、尊重されるべきだし、大切にされるべきだと思うんです。

とてもすてきな考え方だと思います。多面的な視点を持って、物事を俯瞰されている印象ですね。

杉田礼典院長 杉田クリニック4

特に意識しているわけではないんですが、ちょっと人とは視点が変わっているのかもしれません(笑)。一つ言えるとしたら、患者さんの言葉も、起こったことも、すべて三角錐だと思って見るようにはしています。上から見るか横から見るかによって形が違うけど、そのどれもが真実で、単なる平面ではなく奥にまだ形が隠れている。人間関係も、人が発する言葉も、きっと同じです。人と話していると、つい「表ではこう言っているけど、裏ではどう考えているんだろう」と深読みしたくなりますが、見えているものは常に真実の一つであり、あるのは「裏」ではなく「奥」だと思うようにすると、かなり楽になると思いますよ。

医師にできるのは、良い医師でありたいと願うこと

外科出身の先生が、内科も診るようになったのはなぜなのですか。

杉田礼典院長 杉田クリニック5

外科で処置をするとき、生活習慣病できちんとコントロールできていない患者さんは、麻酔や手術後にさまざまな影響が出る可能性があります。高血圧なり、糖尿病なりの改善が少しでもなされていたら、と思う場面が少なくないのですが、患者さんの多くはそのことを知りません。そもそも生活習慣病に端を発する病気で手術に至る人も少なくないことから、内科も診るようになりました。よく思うのは、医師は患者さんの人生のすべてに関われるわけではないということ。例えば、今5歳の子のケガを治療したとして、その子が40歳になったとき、年を重ねた私がもう一度診てあげられるかどうかはわからないわけです。でも、私が治療した痕はその子の人生とともにある。私がいなくなっても、私が治療したという事実は残る。なんだか不思議な気がしますし、だからこそ、未来のその子を診る人に恥じないように、今自分にやれることをやるだけだと思うのです。

先生に診てもらった子どもたちが、幼い頃の先生のように医師をめざすかもしれません。

今、この診療室に来てくれている子どもたちが「大きくなったら医師になりたい」と言ってくれたら、それは望外の喜びですね。どんな報酬よりもうれしい、プライスレスな贈り物です。最初から申し上げているように、私にとって医師は生業。あくまで真摯に取り組むものであって、やりがいを追求したり、こちらから評価を求めたりするものではないと思っています。でも、次世代を生きる子どもたちが、私を通して医師という仕事を認識してくれて、数ある職業の中から医師を選んでめざしてくれたら、こんなにうれしいことはありません。ずっと先の未来まで、子どもたちを通して私の思いが生き続けているかもしれないなんて、壮大なロマンですよね。

きっと、子どもたちの記憶にも残るでしょうね。

杉田礼典院長 杉田クリニック6

黒子として患者さんが舞台で輝くお手伝いをする、それ以上のことはできません。それでも、いや、それだからこそ思うんです。せめて、良い医師でありたいと願い続けようと。診療を終えて患者さんが診察室から出ていくときには、お年寄りであってもお子さんであっても、同じように「お大事に」と言って深々とお辞儀ができる。患者さんの人生と生活を一番に考える。そういう医師であり続けたいと思います。

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