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長谷川眞 院長の独自取材記事

長谷川内科クリニック

(横浜市青葉区/たまプラーザ駅)

最終更新日:2021/10/12

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック main

青空の広がる小春日和。たまプラーザ駅近くの、甲状腺疾患・糖尿病・高脂血症を専門とする「長谷川内科クリニック」を訪れた。広々とした待合室には大きなぬいぐるみが並べられ、テレビモニターには海の底を悠々と泳ぐマンタが映っている。「ぬいぐるみはね、全部コレですよ」といって、UFOキャッチャーの仕草をする長谷川 眞院長。さらに、「マンタのVTRも僕が南の島で撮ったの。あっちょっと待っていて。ほかにもいい写真があるんですよ」と笑顔で駆けていく姿は、どこかやんちゃな少年のようでもある。一方で医療の話になると、「大事なのは本質を見極めること。安易な迎合はしない」という確固たる信念が窺える。明るく堂々と本音でしゃべる長谷川先生。その話は、まさに本質をついたものだった。

(取材日2008年2月29日)

医大なら作家にも音楽家にもなれると思ったけど、とんでもなかった。

小さな頃は、どのようなお子さんだったのですか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック1

あまり優等生ではなかったね。悪ガキでした。東京の下町に住んでいたんだけど、ガチャガチャした町でメンコやベーゴマで遊んでいるのが似合うような子というのかな。高校からは柔道をはじめ、授業中も日曜日もほとんど部室で練習していました。といっても、柔道の何が面白かったってこともないんだけど・・・あえていえば苦しいところに惹かれたのかな。いや、だって、本当につらいんですよ。だから今でも、"スポーツ=体を痛めつけるもの"という感覚があるんですよね。最近は趣味でゴルフをやっていますが、ゴルフに関しても徹底的に身体を駆使しないと満足できなくなっています。

医師を目指した動機についてお聞かせいただけますか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック2

父が開業医で、夜中に電話で起こされて出かけていく姿を見ていて、幼いながらに「僕は絶対に医者になりたくないな」と思っていたんです。でもいざ大学の進路を考える際に、「将来どうしようかなぁ」と思いつつ、やっぱり医者もひとつの選択肢に入ってくるわけです。実は、私の兄である長男は別の道に進み、次男がすでに医大に通っていました。彼いわく「医者になるなら医大に行かなくちゃいけないけど、医大を出て作家や音楽家になる人はいる」と。「そうか。じゃあとりあえず医大に進んでおけば、みんなあきらめなくて済むか」と思って、受験したんです。でもいざ入ったら、まず「医者にしかなれない」と思いました。ほんとに勉強することがいっぱいあるんです。こんな年になったって勉強に追われているのに、ほかのことで生計を立てようなんて、よほどの才能がなくちゃできないですよ。

"何でも診られる内科医"として24時間住み込み勤務

大学卒業後は、どちらの病院に勤務されたのですか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック3

昭和大学の藤が丘病院で2年間レジデントという住み込みの勤務をしていました。面接に行ったときに「ここは24時間体制です。休みはありません」といわれ、まさにその通り。病院内に一室与えられて、そこで寝泊りをします。毎晩帰ってくるのは夜中の3、4時。お風呂は地下の霊安室の隣にあるんです。休日はあまりなく「3カ月ぶりに外へ出た」というような生活だったんですよ。勤務内容としては、"何でもみられる内科医を育てる"というコンセプトのもと、循環器、消化器、血液、呼吸器、内分泌、腎臓・・・すべての科をまわりました。何しろ臨床のできる医者を育てるという目的で、教授には将来世界的に有名になるような各科の著名人がついていたんです。結局そのなかで最後にまわったのが、今僕が専門としている内分泌代謝科なんです。今となってみれば、このレジデント勤務のお陰で内科すべてを網羅できたのでよかったんじゃないかなと思っています。

内分泌代謝科に固定されてからは、どのような経緯で開業に至ったのですか?

もういちど一般の臨床を研究しようと思って、静岡県の聖隷浜松病院で勤務しました。医師不足だった関係で、そこでもいろいろな科を診ましたね。たとえば亡くなられた方の解剖まで全部ひとりで行ないました。その後は表参道にある伊藤病院で勤務し、それからまた昭和大学の藤が丘病院に戻って内科医局長を務め、平成元年にこちらに開業したという流れです。

ご専門とされている内分泌代謝科には、どんな特徴があるのでしょうか?

まず、特定の臓器に限定せず身体全体を診る科ということ。たとえば糖尿病や甲状腺疾患などがあるんですが、そういった疾患の治療というのは、簡単にいうと身体の細胞ひとつひとつをピチピチ元気にさせるためのものなんです。癌のような大病を治す基本だって、そうして細胞を生き返らせることですから。とても重要な分野だと考えています。

患者さんにとってどんな病院でありたいとお考えですか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック4

こういっちゃなんですけれど、体が本来もっている力に比べれば、医者のできることなんてたいしたことないんですよ。内科医は手術をするわけではないですし、崩れかけたところを元に戻してサポートしてあげるような部分が強いんです。だから、つらい状態で来た患者さんが僕の診療に納得してくれて、ほっとした顔で帰ってもらえるのが一番ですね。

本質を考えると、安易に薬なんて出せないんですよ

先生ならではの診療のスタンスはありますか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック5

たとえば風邪の患者さんが「熱があって咳も出るので、風邪薬ください」って来院されるとします。そうしたときに「それは、自分の身体が治そうとしているんだから仕方ないよ。その程度なら安静にして寝ていなさい」というようなことをよく言ってしまう。だってよく考えると、熱というのは風邪のウィルスや細菌の活動を抑えるために生じているもの。咳に関してはタンなどの汚いものを外に出そうとしている動作。それらを薬で抑えるってことは、風邪を治りにくくしているのと同じでしょ。ちなみに「安静にする」というのは、栄養分である血液を、身体の動作のために使うのではなく、病んでいる部分を修復のために集中して使いなさいという、ちゃんとした意味があるんです。そんな風に物事の"本質をみる"ことを大切にしています。

診療室が2つありますが、どのように使い分けていらっしゃるのですか?

ひとつは僕で、もう一方は千野先生という女医さんが使っています。千野先生は昭和大学の藤が丘病院の内分泌代謝科の後輩で、つまりツーカーの子分(笑)。今も、以前僕も勤務していた甲状腺疾患専門の伊藤病院で週1日外来を担当しています。だからうちは内分泌代謝科の患者さんが多いですよ。甲状腺の患者さんなんて2人合わせて500人近くになります。それと若い先生がいると、いろいろとディスカッションができる点もいいですね。大学病院にいるときはさまざまな科の最新情報が自然と耳に入ってきたけど、開業すると自分で勉強しない限りどんどん遅れてしまいがちです。勉強に関しては月に5、6回以上は研究会などに参加し、昭和大学の藤が丘病院の外来も月2回行なっています。

このエリアの患者さんについて、感じられることはありますか?

みんなインテリジェンスですね。かといって何でもいうことを聞いてくれるわけではない。患者さんが診療に納得しないと必要な治療が続けていけないと思うんです。だから診療の際は、「どうしましょうか?僕はこうした方がいいと思うけど、どう思う?」と、常に患者さんと対話しながら進めています。

休日はどんな風に過ごしていらっしゃるのですか?

長谷川眞院長 長谷川内科クリニック6

ちょっと長い休みがとれると、あたたかいところにいってダイビング。海のなかで写真を撮るのですが、今までだいたい6000枚くらいかな。今まで一番きれいだった海は、パラオ。凝っているときは毎週の様に、海にもぐっていましたね。もちろん帰ってきたあとの凄まじさは覚悟の上で出かけるんですけどね。

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